今回は、書家宮村 弦さんのコメントより。

・文字は、それに関わる個人の持つ経験や概念を包含する力があります。

・更に、各々の文字は何千年分の人々の経験と記憶をも含んでいます。書家はそういったイメージを個人的経験や解釈だけで捉えるだけでなく、「文字の持つ記憶」として引き出すことも必要。この普遍的な文字の記憶を感じながら制作に挑むことで、一層作品に厚みが増すのでは。

・作品を「存在」として捉える。作品という対象を通じて、鑑賞者自身の「存在」を実感したり、心が定まることも。
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ほぼ日手帳の中にある、素敵なコメントを集めてみました


詩に、ひとつ意味があるとしたら、「なにかを存在させること」です。
その意味でいえば、理想はたとえば一輪の花なんです。
一輪の花と等価の詩が書けたら、これはすごいんです。
一輪の花は黙っていて、何も伝えないんだけど、
そこに見事にあって美しいわけじゃないですか。
―谷川俊太郎『一輪の花と等価の詩が書けたら。』より

人間がもっている美意識なんて、たいしたもんじゃないんですよね。
「写真で世界を切りとる」なんてよく使いますけれど、
その人の美意識で切り取られた世界よりも、世界そのものの力のほうが
実は圧倒的に強くて、ばっちり構図を決めていくら美しい写真を撮っても
やっぱり現実をこえる力はもちえないんですよ。

だから、写真っていうのはもう、
世界の端的な模写にすぎないんだって
思ってます、ぼくは。
自分の美意識で切り取ると思った瞬間にダメ。

―石川直樹『北極を撮った石川直樹さんと上野公園で写真を撮る』より
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今日は午後からタリーズコーヒーで、紅茶を飲みながら読書♪

読んだのは、「DESIGNING DESIGN

原さんの本は読みやすく、内容も、理知的でありながら刺激的で面白い。
彼は、「普遍的で人間の無意識下に流れる共有の思いをビジュアライズすることに強い興味」があるらしい。また、「無数の見方や感じ方を日常のものやコミュニケーションに意図的に振り向けていくことがデザインである」「デザインとは感覚を覚醒させ世界を感じなおしていくこと」とも語っています。

この本は、前回のブログ記事で紹介した『デザインのデザイン』を大幅に加筆したもので、デザインの世界に疎い私には、様々な作品とそこに込められたコンセプトがとても新鮮に映りました(「無印良品」が有名)。

中でも、学生と一緒に行った研究で、“Exformation”(「いかに知らないかを分からせる」という意)という発想を軸にコミュニケーションの問題を考える演習が興味深かったです。

コミュニケーションの問題点として、「情報に触れたという事実を互いに言い交わすのみで、そこから先に話題をふくらませていくことをしなくなってきている」という指摘は鋭く、「元来、知識とは思考の『入り口』にすぎない。些細な知識を発端として、言葉を交しあうことで互いの思考を運動させあうのが会話であり、断片でしかない知識を対話や思索で練り合わせることで僕らは未知のイマジネーションに手をのばすことができる」と思えます。

この演習で、“Exformationを”実践するモチーフとして選ばれたのは、四国の四万十川。

特に、目を引いたのは、学生による「シミュレーション―もし川が道だったら」。

川面に道路を合成することで、通常の「川を見る」視点が刷新されるわけですが、道路の白線がただの境界線ではなく、「環境をはかるものさし」になっているのが凄い。車線は、視界を動く速度やピッチによって、スピードや車間距離などを知らせる機能があるようですが、それが川の流れ方や速さに相当するんですね。車のレーシングゲームが好きな私としては、高速で車を走らせると、トンネルの明かりが一本の線に見えるのも気になるところですが(笑)

豊かな感性の人の話を聞くと、何だかスッキリしますね!

★『デザインのデザイン』★
では、「日常を未知化する」という考え方に興味津々。

 「デザイン」とは一体何なのか。これは自身の職能に対する基本的な問いであり、この問いのどこかに答えようとして僕はデザイナーとしての日々を過ごしている。二十一世紀を迎えた現在、テクノロジーの進展によって、世界は大きな変革の渦中にあり、ものづくりやコミュニケーションにおける価値観が揺らいでいる。テクノロジーが世界に新たな構造に組み換えようとするとき、それまでの生活環境に蓄積されていた美的な価値は往々にして犠牲になる。世界は技術と経済をたずさえて強引に先へ進もうとし、生活の中の美意識は常にその変化の激しさにたえかねて悲鳴をあげるのだ。そういう状況の中では、時代が進もうとするその先へまなざしを向けるのではなく、むしろその悲鳴に耳を澄ますことや、その変化の中でかき消されそうになる繊細な価値に目を向けることの方が重要なのではないか。最近ではそう感じられることが多く、その思いは日々強くなっている。   (本文より)
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今回読んだのは、制作年代の明らかな高村光太郎氏の作品と、その背景や語義を載せた本。

彫刻など、広く芸術に親しまれていた方が、書の造形美について、どう捉えていたのか興味があったのです(『造形美論』や『美について』も読みたくなりました)。
太平洋戦争直前に書かれた「美の健康性」(『美について』(昭和15)では、「比例均衡というのは人間精神における審美性の最も原始的な要素」であり、「これを欠いては美は成立せず、しかもこれのみで立派に美が成立する力を持っている」
『書の深淵』(昭和28)では、「天と書いてあれば、外国人ならただ四本の線の面白い組み合わせ、書かれた線と空白との織り成す比例均衡の美だけを見るだろう。書の制限から解放せられて、自分でも自由自在な抽象美を創り出すことの出来る芸術境に進むことが無理なく行われるであろう。その点われわれにとっては相当の無理と抵抗とに悩むことになるであろう」「書の魅力は実は意味と造型とのこんぐらかりにあり、書の深さはこのヌエのような性質の奥から出てくる」
などと語られていて、非常に興味深いものでした。

この本は彼の半生と照らし合わせた形で紹介されているので、高村氏の人となりも垣間見られます。

素晴らしいと思ったのは、

高村氏が友人に贈ったという短冊
・きびもちの(大正14年)
・もちくさを(大正13年)
→もちくさをくさもちにして箱につめ たのしきものか友のくる日は
友人から貰った素朴なお餅に喜び、その時の気持ちをこんな風に歌にできるなんてステキですよね!(友人もその時の喜びを「思いがけない大きな贈物を頂いた思いで胸一杯になった」と残しています!)「良寛風」といわれる書体も飾り気がなく、好感が持てます。

そして、
・白文鳥の木像(昭和4,5年)と、「小鳥らは・小鳥らの」という短歌の書。
彫刻からは、二羽の温もりが、書からは、鳥を手のひらにのせる時の柔らかさが伝わってくるようでした。

 ★印象に残った言葉★
・書を究めるという事は、造形意識を養うことであり、この世の造形美に眼を開くことである。
・書が真に分かれば、絵画も彫刻も分かるはずであり、文章の構成・生活の機構にもおのずから通じて来ねばならない。書だけ分かって他のものが分からないというのは分かり方が浅い外なるまい。
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20世紀アメリカで活躍した、アクション・ペインティングおよび抽象表現主義の画家、ジャクソン・ポロックと、彼を支えたリーという女性(彼女も画家)の物語。

パッケージに、「大人のラブ・ストーリー」と書かれていたので、どんな濃厚なシーンが待ち受けているのかと、ちょっとドキドキしていましたが、「ラブストーリー」というより、「ヒューマンドラマ」ですね

画家のラブ・ストーリーを見たい方は、「モディリアーニ 真実の愛」の方がいいかも(「本当の君が見えたら瞳を描こう」(だったかな?)というキザなセリフを吐きますが…)アンディ・ガルシアさんが素敵です(笑)(「オーシャンズ」で初めて知った俳優さんだけど、セクシーだと思う 笑)

今回の「ポロック」の見所は、監督も務めたエド・ハリスの絵を描くシーン。
だいぶ前から練習していたと言っていましたが、本当に、画家が描いているみたいなんです線を、床に置いてあるキャンバスに散らす画法が面白かったです(*^-^)bその姿は、まるで、舞踊のようでした。とてもリズミカルっ雰囲気で絵を描かず、実際に再現しているのが、この映画の最大のポイントだと思います。
出来た絵は、エネルギーの発露なんでしょうけども、私には航空写真に見えたものがありました

ポロックという人は、アルコール依存症で、お酒が入ると荒れますが、そんな彼の才能を高く評価したリーは、献身的に彼を支え、絵を描く環境を整えてくれます。彼女がいなかったら、広くポロックが知れ渡ることはなかったと言っても過言ではありません。

ポロック 二人だけのアトリエのホームページは
こちら
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