デザインの原形

今日は、立ち読みで、『デザインの原形』という本を読みました。

無印良品のデザインを手がける原 研哉さん、深澤直人さん(もう一人の名前を忘れました)らが、様々な作品を対談形式で紹介しながら、「デザインの原形」について語っています。

無印良品については、特に好き!という程でもないですが、個性を押しつけないスタイルで、部屋に持ってくると自然と生活に馴染むので、使いやすく、安心できる商品というイメージ。

本の中でも、ジャスパー・モリソン(この方のシンプルなデザインは結構好き)など有名なデザイナーと並んで紹介されていました

さて、特に気になった言葉は、

・デザインの才能とは、周囲を感知する感受性

・「原形」をつくれる人は、生活の中の「こんなこと知っているようで知らなかった」と無限の価値に気づける人

・原形の意味を知る者は、生活の背景になり、人の行為にはまり込む必然性を探し出そうとしている

デザインについて興味を持ったのは、原さんの『デザインのデザイン』で、かなり最近のこと。

「新しさ」や「個性」で他者を圧倒させるのではなく、身近なものに目を向けさせて、新たなコミュニケーションの回路を作る彼らの姿勢に好感が持て、私の中のデザイナーやデザインのイメージを変えてくれました
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# by fresh-mango | 2009-08-30 23:34 | アート・デザインを楽しむ | Trackback | Comments(0)

路上のソリスト

「奏で続ければ、いつかきっと誰かに届く」ーだが、映画で何を伝えたかったのかが分からない…。 評価は★★☆☆☆



スミマセン。まず、二人の関係性に違和感が…。根本的なところが納得できないため、ストーリーについて行けず

そもそも、初対面の人に、いきなり突っ込んだことができるのか…?許可も取らずに記事を書く?精神的に病んでなくても引いてしまうだろう。

ナサニエルは何故、名門ジュリアード音楽院在籍中に統合失調症を発病したのか?何が引き金になったのだろう?納得のいかない環境だったのだろうか?統合失調症を患いながらも、音楽に対しては非常に純粋かつ誠実に取り組んでいる彼から見た、クラシック音楽の在り方、世の中への不満なんかがあれば、少しは理解できたのかもしれない(病気で話せないかもしれないが)。そういう人物背景抜きに、記者が記事を起こしているので、記者視点で彼を捉えようとすると、路上生活に至るまでをどう受け止めたらいいのか分からなくなる(記者自身、どう受け止めているのか謎)。ただただ、「精神を病んだチェリスト」を追っかけ回す記者と芸術家としか映らないのが非常に残念だ。

映画の中で記事視点が固まっていないせいなのか、
路上生活者の現状を映し出されても、何のために出したのかも伝わってこないし、路上生活者への訴えに必然性を感じない。。

記者が天才芸術家に出会って、人生に変化が起こったというならば、もっと、内面の変化や契機についてしっかり描いて欲しかった。

記者視点で芸術家と、芸術家を取り巻く環境、そして、芸術家からみた現代社会が描かれて初めて、演奏が「誰かに届く」のではないだろうか。

交響曲第3番「英雄」など、ベートーベンの名曲の数々が聞けるのは
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# by fresh-mango | 2009-05-31 21:13 | アート・デザインを楽しむ | Trackback | Comments(0)

印象的な言葉②

今回は、書家宮村 弦さんのコメントより。

・文字は、それに関わる個人の持つ経験や概念を包含する力があります。

・更に、各々の文字は何千年分の人々の経験と記憶をも含んでいます。書家はそういったイメージを個人的経験や解釈だけで捉えるだけでなく、「文字の持つ記憶」として引き出すことも必要。この普遍的な文字の記憶を感じながら制作に挑むことで、一層作品に厚みが増すのでは。

・作品を「存在」として捉える。作品という対象を通じて、鑑賞者自身の「存在」を実感したり、心が定まることも。
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# by fresh-mango | 2009-04-12 10:14 | 書くことを楽しむ | Trackback | Comments(0)

印象的な言葉

ほぼ日手帳の中にある、素敵なコメントを集めてみました


詩に、ひとつ意味があるとしたら、「なにかを存在させること」です。
その意味でいえば、理想はたとえば一輪の花なんです。
一輪の花と等価の詩が書けたら、これはすごいんです。
一輪の花は黙っていて、何も伝えないんだけど、
そこに見事にあって美しいわけじゃないですか。
―谷川俊太郎『一輪の花と等価の詩が書けたら。』より

人間がもっている美意識なんて、たいしたもんじゃないんですよね。
「写真で世界を切りとる」なんてよく使いますけれど、
その人の美意識で切り取られた世界よりも、世界そのものの力のほうが
実は圧倒的に強くて、ばっちり構図を決めていくら美しい写真を撮っても
やっぱり現実をこえる力はもちえないんですよ。

だから、写真っていうのはもう、
世界の端的な模写にすぎないんだって
思ってます、ぼくは。
自分の美意識で切り取ると思った瞬間にダメ。

―石川直樹『北極を撮った石川直樹さんと上野公園で写真を撮る』より
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# by fresh-mango | 2009-04-08 19:33 | アート・デザインを楽しむ | Trackback | Comments(0)

DESIGNING DESIGN

今日は午後からタリーズコーヒーで、紅茶を飲みながら読書♪

読んだのは、「DESIGNING DESIGN

原さんの本は読みやすく、内容も、理知的でありながら刺激的で面白い。
彼は、「普遍的で人間の無意識下に流れる共有の思いをビジュアライズすることに強い興味」があるらしい。また、「無数の見方や感じ方を日常のものやコミュニケーションに意図的に振り向けていくことがデザインである」「デザインとは感覚を覚醒させ世界を感じなおしていくこと」とも語っています。

この本は、前回のブログ記事で紹介した『デザインのデザイン』を大幅に加筆したもので、デザインの世界に疎い私には、様々な作品とそこに込められたコンセプトがとても新鮮に映りました(「無印良品」が有名)。

中でも、学生と一緒に行った研究で、“Exformation”(「いかに知らないかを分からせる」という意)という発想を軸にコミュニケーションの問題を考える演習が興味深かったです。

コミュニケーションの問題点として、「情報に触れたという事実を互いに言い交わすのみで、そこから先に話題をふくらませていくことをしなくなってきている」という指摘は鋭く、「元来、知識とは思考の『入り口』にすぎない。些細な知識を発端として、言葉を交しあうことで互いの思考を運動させあうのが会話であり、断片でしかない知識を対話や思索で練り合わせることで僕らは未知のイマジネーションに手をのばすことができる」と思えます。

この演習で、“Exformationを”実践するモチーフとして選ばれたのは、四国の四万十川。

特に、目を引いたのは、学生による「シミュレーション―もし川が道だったら」。

川面に道路を合成することで、通常の「川を見る」視点が刷新されるわけですが、道路の白線がただの境界線ではなく、「環境をはかるものさし」になっているのが凄い。車線は、視界を動く速度やピッチによって、スピードや車間距離などを知らせる機能があるようですが、それが川の流れ方や速さに相当するんですね。車のレーシングゲームが好きな私としては、高速で車を走らせると、トンネルの明かりが一本の線に見えるのも気になるところですが(笑)

豊かな感性の人の話を聞くと、何だかスッキリしますね!

★『デザインのデザイン』★
では、「日常を未知化する」という考え方に興味津々。

 「デザイン」とは一体何なのか。これは自身の職能に対する基本的な問いであり、この問いのどこかに答えようとして僕はデザイナーとしての日々を過ごしている。二十一世紀を迎えた現在、テクノロジーの進展によって、世界は大きな変革の渦中にあり、ものづくりやコミュニケーションにおける価値観が揺らいでいる。テクノロジーが世界に新たな構造に組み換えようとするとき、それまでの生活環境に蓄積されていた美的な価値は往々にして犠牲になる。世界は技術と経済をたずさえて強引に先へ進もうとし、生活の中の美意識は常にその変化の激しさにたえかねて悲鳴をあげるのだ。そういう状況の中では、時代が進もうとするその先へまなざしを向けるのではなく、むしろその悲鳴に耳を澄ますことや、その変化の中でかき消されそうになる繊細な価値に目を向けることの方が重要なのではないか。最近ではそう感じられることが多く、その思いは日々強くなっている。   (本文より)
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# by fresh-mango | 2009-03-29 21:27 | アート・デザインを楽しむ | Trackback | Comments(0)